昔のエイサーは?

昔のエイサーは?

映像は、那覇の国場の念仏保存会による念仏(にんぶち)

昔のエイサーのスタイルを残しています。

第3回エイサーガイド養成講座 講師:久万田晋さん より



昔の念仏(にんぶち)です。今のエイサー曲と一緒ですね~。
中世の古い芸能が、演目として残っています。最初の写真は、花ぐらんという歌。死んだ人が朽ちて骨になる様子を描いた中世の歌です。



国頭村の与那の七月舞(しちぐゎちもーい) 昔のエイサーは、こんな感じでしょうか。女性のみの手踊りです。国頭、大宜味は今でもこんな感じ。



 海洋博の近く、本部町備瀬の男女の手踊りエイサー。地域の老人会が、戦前のスタイルを復活させました。中央に櫓(やぐら)を組んで地謡(伴奏)を置くのが、特徴。非常に早いテンポで踊ります。曲のハヤシは、皆で歌う。曲によって向きが変わるので、全曲を覚えないと踊れない。非常にテクニカルです。

なぜ、どのように変化した?
 古いスタイルのエイサーも、使用する曲は今と変わらない。しかし、踊りは多様化している。踊りは戦後に急速に変化したことが推測される。

 1956年~1977年のエイサー全島コンクール 順序が付けられるので、村のエイサーから見せるエイサーへ。伝統的な念仏(にんぶち)が戦後まで残っていた沖縄本島の南部も、中部のスタイルのエイサーを習って導入した。

 コンクールの弊害 歌も踊りも違い、審査基準が難しい。判定に怒った青年が審査員にコーラ瓶を投げる、警官隊の導入など・・・。30番まで歌うような念仏歌をやらなくなる。30人以上の隊列、40分でのステージに合わせて踊りも変化。初期はパーランクーエイサーが高評価だった。与勝の連勝が続く。やがて締太鼓、大太鼓のコザスタイルが主流に。派手でスピーディーに。1977年以降は、順序を付けない現在のエイサーまつりに。「順序を付けるコンクール復活」を望む声もあるとか!?

温故知新
 もう、旧盆のエイサーが待ち遠しいですね~。今年の旧盆は、8月13日(水)~15日(金)ですぞ。この前後、週末は沖縄中でエイサーイベントがあります。本土の皆さんも、沖縄で本場のエイサーを!!!
  











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この記事へのコメント
大変勉強になりました、ありがとうございます。
エイサーも行事から芸能に変化していったわけですね。
Posted by yakara at 2008年02月01日 10:24
> yakara 様
 本土でエイサーをされているのですね! この10年間でのエイサーの発展には、驚くべきものがあります。HPを拝見しました。

 「何が本物か!?」  沖縄でも伝統か、革新かという激論が続いています。これは、生きた芸能の証しでしょう。

時代を超えても、「魂」は継承したいです。
Posted by satoshi@宜野湾 at 2008年02月01日 13:25
早速のRESありがとうございます。
私共もエイサーという素晴らしい芸能をお借りした以上その本質を見失わず活動させていただきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by yakara at 2008年02月01日 18:25
 
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