チョンダラーに歴史あり!

satoshi@宜野湾

2008年01月30日 09:40



エイサーでおなじみのチョンダラー(京太郎)とは、何者か!?
壮大な琉球歴史ロマンですぞ~。

第3回エイサーガイド養成講座 講師:久万田晋さん より

1)エイサーのチョンダラー

2)泡瀬の京太郎(チョンダラー)

3)中世の芸能者、京太郎

動画あり
1)エイサーのチョンダラー
 皆さんのイメージするチョンダラーとは、顔は白塗り、芭蕉布の着物に変な帽子。滑稽な動作で笑わす人たちでしょう。しかし、彼らのようなエイサーの道化役をチョンダラーと呼ぶようになったのは、戦後のこと。ナカワチとも呼ぶ。エイサーの隊列を整える重要な仕事をします。ただの道化者では、ありません。

 本来の「京太郎」とは何者か? 後述します。

オマケの動画 モンゴル800がエイサー!?


泡瀬の京太郎(チョンダラー)
馬舞者(んまめーさー)の動画


 泡瀬京太郎は、1980年に沖縄県指定無形民俗文化財に指定されました。
5つの演目があります。1)早口説(はいくどぅち) 2)扇子の舞(うーじぬめー) 3)御知行(うちじょう)の歌 4)馬舞者(んまめーさー) 5)鳥刺し舞(とぅいさしめー)
 後述する中世の芸能者、京太郎の芸能から、念仏歌以外の芸が継承されています。本土にも似た芸能があります。

3)中世の芸能者、京太郎

 京から琉球へ渡来した芸能を継承。その芸能のルーツは、中世にまでさかのぼる。まさに、歴史のロマン!!!

京太郎の悲しい物語
 昔々、ある真面目な男に美しい妻がいた。妻のあまりの美しさに、畑にも行きたくない程。そこで、美人の妻の絵を描いて、木に張っておいて仕事をしていた。しかし、風が吹いてその絵が飛んで行ってしまった・・・。
 その絵を拾った人が、「これは、素晴らしい美人だ! 殿に報告しなくては!」 それを聞いた殿は、「こんな美人がいたら、すぐに連れて来い!」と家来に命じた。そこで、この女性は殿の妾(めかけ)にされてしまった。
 悲しむ男は芸人に変装して、お城へ。妻はすぐに気付き、つかの間の再会。しかし、すぐ殿の知るところとなる。殿は、「芸の褒美を取らそう。お前に琉球の土地をやる」・・・そこで、京の芸能者が琉球に渡来した。

 実は、このストーリーは、絵姿女房物語として、全国にあるそうです。だから「殿は、薩摩? 京都?」ということは不明(どうでもよい?)のです。

京太郎は、いつ沖縄へ!?
 1720年の「琉球国由来記」に京太郎の記述あり。しかし、「いつ琉球に来たか分からない」とある。1609年の薩摩の琉球入り以前の可能性もある。
 
京太郎のお仕事
 もともとは、お祝いの歌、葬式での念仏歌などをする芸能集団。念仏を唱えるのでニンブチャーとも呼ばれた。村の青年たちも彼らに念仏歌を習い、今日のエイサーの原型となった。エイサーでおなじみの曲「七月念仏」(「継親(ママウヤ)念仏」)は京太郎にルーツがある。

感想
 う~ん、チョンダラーに歴史あり。中世の京太郎からエイサーに発展するのが分かりました。エイサーのいわゆるチョンダラーは、戦後の呼び方ですが、そのルーツに帰った印象ですね。

 皆さんも、来年の旧盆にはチョンダラー薀蓄(うんちく)を語ってください(笑)

 京太郎というのは、昔々ある男に美人の妻がいて・・・。




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