民謡酒場の楽しみ方@ビセカツさん

satoshi@宜野湾

2006年08月18日 15:11




 コリンザ@コザにて、音楽ガイド要請講座のお勉強。キャンパスレコードのビセカツ(備瀬善勝)さんのお話です。http://www.campus-r.com/

 沖縄音楽の生き字引きですから、楽しいお話が聞けました!
民謡酒場の楽しみ方
1)店のマスターより上手に歌え 数曲を集中的に練習すること。特にマスターの持ち唄を(笑) よなは徹さんhttp://yonaha.izumu.jp/も、やっていたそうです(驚) 民謡酒場は、飛び入りといって、お客が気軽にステージに上がれます。

2)歌詞を替えろ 自分の名前や職業を入れて歌う。神谷幸一さんは、人の名前を覚える天才で、3年前に名刺を渡しただけでも覚えているそうです。そこで、久しぶりのお客の名前を歌ってくれるので、ファンが多いとか!

民謡酒場の歴史
戦後の基地強化と関係が深い。1950年代以降、朝鮮戦争による沖縄の基地の強化。この時に、本土から大手ゼネコンが入ってきた。那覇では、本土の技術者向けのナイトクラブが盛んになった。しかし、本土のお客は、「終電の感覚」か?、夜11時には帰ってしまう。誰かが、沖縄のお客を相手に夜11時以降の民謡ステージを始めたら、大アタリ! 現在も、民謡酒場は営業時間が遅いのは、これが原因か?とのこと。

 喜納昌永さん(昌吉さんの父)が、浦添の城間(ぐすくま)で始めた店が、民謡酒場の第1号であろう。民謡で飯が食える時代に突入 普久原朝喜さん(ふくはらちょうき・沖縄民謡の父)の口癖は、「民謡で飯は食えぬ」だったという。やがて、コザには喜納昌吉さん(代表作「ハイサイおじさん」)が、「ミカド」をオープン。周辺にも数件の民謡酒場ができた。民謡酒場の歴史は、戦後のもので、那覇〜浦添〜コザへ。やがて全沖縄へ、今では全国あちこちに。 

民謡酒場の問題点
1)夜遅い 平均的に夜9時オープン、ステージは10時から。さらに、だいたい午後11時オープン、しかも時々午前3時オープンというテーゲーの極地という店も・・・。那覇あたりでは、観光客向けに早い時間でオープンする店も多い。
2)メニューがない 信じられないことだが、お客によって値段が違う!? 常連さんは安く、本土の言葉を喋るお客は、ボラれることも・・・。コザの「姫」(我如古より子さんの店)のように、ちゃんと値段表のある店は、繁盛している(笑)

嘉手刈林昌の伝説
 唄は素晴らしいが、私生活は滅茶苦茶。絶対に家族にはしたくない人(爆) 林昌さんが、民謡酒場を経営したが、半年も続かなかった・・・。 ステージに林昌さんが立つと、客が唄に聴きほれてしまい、酒が全く売れなかった。また、林昌さんの店で飛び入りする客もいなかった。そこで、たちまち経営不振に。
 知人の告別式に行こうと、数千円の入った封筒を手にした林昌さん。これを倍にしようと、すぐパチンコ屋へ 倍どころか、すべて失い、「嘉手刈林昌」と書かれた袋だけ持って今日は知人の告別式だがと言って、訪ねてくる。決して金を貸してくれとは、言わない しかし、映画出演で大金を手にすると、飲み屋で万札を飛ばしていたそうな
 竹中労さんのお話では、美空ひばりさんが唯一サインを求めた唄者が、嘉手刈林昌さんだったとのこと。やはり、この方はです。
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